2023年03月05日

地下鉄が延伸するのは嬉しいし、福岡国際線ターミナルまで延伸するのは夢があるが

 平成17年に開業した七隈線の話。

 地下鉄が伸びて、博多駅までいく。博多駅からすぐ空港線に乗り換えて、福岡空港まで行ける。

 福岡空港に行くのに時間も読みやすいし、とても便利になるので、個人的には、かなり嬉しい。地下鉄空港線まではあるいて13分くらいかかるのだ。キャリー引いてあるくのはけっこうめんどくさい。七隈線なら5分くらいなのだ。
 結局めんどくさくてタクシーに載ったりしていた。

 まぁ、でも、最初からここまで通しとけよ。だよね。2,3年遅れの平成20年開業でよかったから。

 それで、二段階に分けたことで200億円くらいドブに捨てたとも聞いてショックを受けている。

 以下は、とあるマスコミ関係者の知り合いから聞いた話。

 平成4年から2年間で、七隈線についていろいろ検討して、とりあえず天神南までってなった。あとは、海に伸ばす案、渡辺通に通す案と3案あって決めきれなかった。先送りになった。

 今回の延伸では580億円かかっているけど、このときに決めておけば、200億円くらい安く作れたらしい。
 
 この決めきれなかったところが、民主主義の非常に良くないところだよね。

 当時のことはよく知らないが、市民から反対運動がおきて、橋本ー天神南をつくるのもやっとのことだったのかもしれない。
 または、海側または渡辺通に有力者がいて、天神南ー博多駅路線にするなら、お前の将来はないぞ。と役人を脅したのかもしれない。
 まぁ、200億円なんで、自分の出世とかよりも、200億円を優先してほしいが、、、
 まぁ、そんなはなしがあったかどうかは知らないけど、責任のある人は10人くらいに絞れるだろう。それを突き止めて、賠償させるべき、、、

 みたいな話の概要だった。

 とりあえず黙って聞くしかなかった。

 それと、地下鉄を福岡国際線ターミナルまで延伸するのは夢があるが、国内線ターミナルと国際線ターミナル直線距離1.3kmを地下通路(うごく歩道付き)で結ぶ方が安上がりだなぁ。

 あと、北九州空港との連携を図って、北九州にも海外からのLCCを増やして、天神ー博多駅ー国際線ターミナルー国内線ターミナルー(引野口)ー北九州空港のシャトルバスをつくる。
 国内線ターミナルと北九州空港は1時間ちょいくらいでいける。
 外国の首都クラスの都市は、空港が複数あるが、空港まで1時間かかるとかはザラなんで、これで十分なんじゃないかと。

 北九州空港も佐賀空港も、小倉駅・佐賀駅からそれぞれ40分もかかる。

 北九州空港じゃなくて、佐賀空港もいいかもだけど、複数滑走路で海上空港24時間運用可能な北九州空港のほうが、良さそうだ。

 福岡空港は発着制限があって、22時までしか発着できない。

 ダイヤが乱れると、22時過ぎそうだということで、欠航になったりする。こういうのを全部、北九州空港で引き受けてくれないかなぁ。それで、北九州空港から天神・博多までの無料の直行のバスを臨時発車させる。こうしたら、欠航にしなくていい。
 翌日便の出発は、福岡空港から北九州空港へ変更。出発時間を90分位遅らせて、こちらも無料のシャトルバスで対応する。こうすればLCCの機材繰りの影響も消せるし、いいことだらけのような気がするんだが。

 まぉ、法律的な規制があったりとか、対応人材の急な確保とか、実際のハンドリングで難しい面がいろいろあるのだろうと思うけど。
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2022年10月19日

【ロシアとウクライナ】国際紛争の和平条件の決め方を国民投票にしたらどうだ?

 ロシアとウクライナの戦争はやく終わってほしいものだ。

 でも、和平の条件として、どんな案があったとしても、どっちも受け入れないだろうなと思う。

 あと2,3年戦争して、どっちもヘトヘトになって、どういう条件でもいいから終わって欲しいと思うようにならないと、戦争は終わらないんじゃないだろうか。歴史的に見たら、だいたいそうなんだよね。お互いに国土が破壊されまくって、人もたくさん死んで、お互いヘトヘトにならないと戦争は終わらない。

 それで、和平条件の決め方なんだけど、これを国民投票で決めたら、合意が早まるんじゃないかと思う。

 以下、私案。

 1)ロシアとウクライナが、それぞれ和平条件の案を提示する。
 2)その2案をそれぞれの国で賛成か反対かで国民投票する。

 多分、最初の投票では、どっちの国もかなり自国のことばかりの強欲な提案をすると思う。

 それで、投票したら、

「自国の提案には大賛成、敵国の提案には大反対」みたいなことになるだろう。

 でも、ここからがスタートでね。

 毎月こういう国民投票やっていたら、お互いの隔たりにどうしても向き合わないといけなくなる。それが国民の合意形成も早まるんじゃないか。

 最初は賛成0 反対10とかの極端な結果になるだろうけど、毎月国民投票していたら、次の和平条件は変化があり隔たりは小さくなっていくはずだ。

 戦争は長引けば長引くほど被害はおおきくなる。1日でも1ヶ月でも戦争が早く終わるなら、それに越したことはない。
 毎月、国民投票ってのは、現実的じゃないとしたら国連とかが、世論調査するってことでもいいかもしれない。


 それで政府の指導者も、和平条件を提案するというのは、かなりのリスクだ。一度、強気なことを言ったら、もうあとには引けない。しかし、このやり方なら、最初は強気なこと言って、少しずつ譲歩していくことが可能だ。国民にも経過が見えるから、合意しやすい。

 日本も、アメリカと戦争したときに、このやり方がデキていたとしたら、もっと早い段階で、もうちょっと日本にとって有利な条件で終戦できたと思う。アメリカも民間人に原爆を落とすというユダヤ人虐殺のナチスと同じ歴史的な罪は侵さなくてよかったと思う。
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2022年10月06日

善をなそうとすると、必ず悪にならざるを得ない。

 とある本を読んだのだけど

1)国民の貧しい暮らしを解消しようとすると、経済発展が必要となる

2)そのためには、外国資本を呼び込むことが必要で、政治的安定が必要

3)国民を早く救いたいと思って効率的にやろうとしたら、権威主義体制をとらざるを得ない

4)経済発展すると、リベラルな中間層が増える

5)権威主義体制に反発して、体制は崩壊する

6)殺されるか国外追放

 というルートにならざるをえないらしくて、ひっじょ〜〜〜に興味深かった。

 たいていの政治家は、抱負も実現できずに泡沫に消えていくわけだけど、国民の貧困を救おうとして、運良く抱負を実現した政治家は、殺されるか国外追放。

 なぜ、貧困の解消が必要なのかというと、犯罪が減るってことなんだよね。

 殺人、強盗、誘拐、、、

 やっぱ、これらの犯罪は、近くで起こると、本当にショックが大きい。
 人生とか生き方を変えるくらいの大きなショックだと思う。 

 そして、そういう最悪な犯罪というのは、背景に貧困があることが多くて、貧困を解決すれば、最悪な犯罪というのは、めちゃくちゃ減る。
(あと、中絶を認めたら、犯罪が減ったというのもあって、その因果関係ほんとに暗い気持ちにしかならないよね、、、)

 国民を救おうとして、頑張っても、歴史的に見たら、不幸な末路しか待っていないってところが、ひっじょ〜〜〜に興味深い。

 善をなそうとすると、必ず悪にならざるを得ない。って言葉をどっかで聞いたことがあって、それを思い出したね。

 学校の先生だって、ちゃんとやったら、生徒に嫌われる部分はあるだろうし、政治家だったらどんなに頑張っても敵ができる。
 
 それを避けようと思ったら、具体的なことは何もやらずに、ただただ祈りをなす存在になるとか、もしくは、公園の掃除をやり続けるとか、絶対にだれからも文句が出ないようなことしかないのかもしれない。
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2022年09月06日

沖縄は、独立という選択肢をもっているけど、それが現実性をましてきたような気がする、、、

 いま日本が「沖縄」という地域は143年前は、日本にも中国にも属さない独立国だった。

 「琉球」と言われていた。

  琉球は、中国と日本とどっちともうまく付き合いながら、独立国的なポジションを取っていた。143年前の1879年に「沖縄県」になって、「日本国」の一員になったけど、それは、不承不承。
 日本が1905年に、日露戦争に勝って、不承不承の空気は変わった。

 日本の一員になったほうが良いという空気になった。

 その後、日米間の戦争や、そのあとの復帰など紆余曲折があった。

 そして、2022年。ペロシ氏の台湾訪問で、化学反応が起きて、一気に事態が進んだ。中国は、台湾の取り囲む形で軍事演習をして、これは既得権化するだろう。
 ペロシ氏の行動が、この事態を招いたと言っていいだろう。

 今、中国と台湾で戦闘が起こったら、日本も危ないって説があるけども、まず危ないのは沖縄。

 中国は台湾をとったら、次は、尖閣をとる。
 その次は、沖縄を取りに来る可能性がある。その次は日本本土に来る可能性がある。

 日本が単独で戦っても、中国には勝てないので、アメリカの力は必須。それと台湾。台湾は死ぬ気で戦ってくれるだろう。日米だけでなく、台湾が加わってくれているほうが、勝てる可能性が高い。
 台湾の人には申し訳ないけども、台湾が前線になることで、日本の犠牲も減る。

 だから、中国と台湾が戦うってなったときに、日本はここで全力を投じるのが良い。

 って、思ってたんですけどね、、、、
 違う考えも思いついた。


 今、沖縄の立場から考えてみたらどうかと考えると、沖縄は今、日本から独立する選択肢があるなと思った。

 それで、米軍も追い出す。
 沖縄は、非武装・無抵抗の中立国家になる。

 中国が攻めてこないということを盲信する必要はある。

 賭けではあるけども、このまま日本に属していたら、中国と台湾が紛争になったら、真っ先に沖縄が危ない。本土がどれだけ、守ってくれるのかはわからない。
(こういうとき、安易に歴史の教訓とかいって、先の沖縄戦を持ち出すのは、公平な判断ができなくなるから自粛する。)

 それで、沖縄が独立したら、台湾と中国が紛争になっても、日本は手を出す名分がなくなってしまう。独立した沖縄が、沖縄国の領土である尖閣を取られても我慢していればいいだけだ。
 米軍も沖縄にいないから、軍事的にも勝てる見込みがまったくない。

 独立して経済がどうなるのかはわからない。案外独自にいろんなことをやれて成長するかもしれない。逆に、いまより貧困になるかもしれない。

 けど、無抵抗国家になれば、中国が攻めてきても、独立は失われるが人命は守られる。

 そして、これは日本にとってもメリットがある。

 尖閣・沖縄が日本じゃなくなったら、日本は中国と紛争になる可能性はだいぶ減るのだ。言い方は悪いが、緩衝地帯の役割を果たすことになる。
(中国が尖閣など沖縄の一部を取ることで、満足し、それ以上の主権侵害や領土拡張はしてこない場合だが)

 沖縄が自ら独立するというのはいいと思うけど、日本が本土の安全を優先して、沖縄を分離独立させるとかは道義上ありえない。
 沖縄が、一緒に死んでくれと言われたら、今度こそ一緒に死なないといけないだろう。

 これは、以前の話になるけども

 私は、沖縄の言論空間を見て、無責任なことばかり言う沖縄の新聞社などに、「沖縄は独立したらどうだ?」と言ってみればいいと思っていた。

 そうなれば、困るのは沖縄の方だからだ。

 そしたら、みんなちゃんと考えるようになって公平・公正な議論になるだろうと思っていた。

 しかし、状況が変わった。
 今、沖縄が独立したら、沖縄にはメリットがあるし、日本にもメリットがある。そんな時代が来るとは思わなかった。

 だいたい歴史的に見て、沖縄は、独立する権利がある。今はそれを行使していないだけだ。

 今、2022年。沖縄が独立を失ったのは1947年で、2029年は、沖縄が独立を失ってちょうど150年。このタイミングに向けて、沖縄が、独立を目指して行動するとしたら、そことどう向き合うべきなのだろうか、、、
posted by takasaki at 12:38| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月15日

パワハラとかセクハラとかは良くない。行き過ぎも良くない。いいバランスにならないものか。

 パワハラとかセクハラとか言う、言葉が行き過ぎて

 例えば、女性に対し

「もうちょっと、身ぎれいにしたらどうか?」とか
「もうちょっと、やせたらどう?」

って言う人が減ってしまった。

 そういうちょっとがんばってほしい女性が100人いるとして、そのきっかけを失った女性たちの人生で得られる幸福の総量は、総合的に見て減ってしまうんじゃないかという話を聞いた。

 一方、部下に対し

「君のこういうところが良くない。なおせなかったら、評価は高く出来ない」

 とか 

「君のこういうところが良くない。なおせなかったら、契約は更新できない」


 みたいなことも、言いにくい世の中になっているようだ。

 ほんとはちゃんと注意して、成長してもらって、契約も続くというのが一番いい。
 でも、今の世の中は、セクハラやパワハラという言葉に萎縮して、変な流れになっている。

 注意もしない→契約も更新しない→理由も明示しない→新しい人が来る→ゼロから鍛え直し

 みたいなことになっている。
 大損だ。

 人前で注意するのは避けたいし、ちゃんと話そうと思えば、食事とかに行くと話しやすい。それも、セクハラという言葉のせいでやりにくい。

「なら、いーや、こいつがどうなっても。どうせ、2,3年で俺の部下じゃなくなるし。」

 ってなるよね。9割の決して強くない普通の人は。

 日本の労働者の生産性が下がっているというが、案外こんなところにもあるんじゃないのか?


 パワハラとかセクハラとかは良くない。行き過ぎも良くない。いいバランスにならないものか。
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2021年07月22日

今、半分くらい、大学に行ってるらしいが、5人に1人でいいんじゃないか?

 そもそも大学って、学者・専門家を養成するもの。

 国の役人とか、サラリーマンのような実践家になるならわざわざ行く必要がない。 頭の良さを証明する資格みたいになっている。
 大学行くのなんか5人に1人でいい。5人に4人が高校卒業して働き出せば、労働力不足は改善する。

 多くの場合は、大学で4年間学ぶことによって、その分の知識や教養がついて、社会に還元できたなんてことはないんじゃないか?単なる資格を得ただけのはなしで。
 国費を投じて、大学生に勉強させてもあまり還元されない。

 だったら、4年間を無為に徒食するより、働いてお金を生み出したほうがよっぽどいい。

 一定数の学者を養うために、パトロンである学生が必要っていう事情もあるんだろうけど、そんな都合知るかよ。

 今、半分くらい、大学に行ってるらしいが、5人に1人でいいんじゃないか?

 そうしたら今の大学の8割は潰していいことになる。

 まぁ、そんなに単純には行かないだろうけど、たとえば理系で重要な研究しているところは残しておかないといけないだろうし。

 経済や法律の知識が必要と言うなら、就職させたあとに企業が研修すればいい。
posted by takasaki at 09:33| 福岡 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

将来に不安しか無いのも当然だなと思う。なんで、こんなんなっちゃったんだろう、、、

昔は、

男性なら「仕事を選ばなければ、正社員にはなれるだろうし、贅沢はできないけど、なんとか家族を養っていけるだろう」ってのがあった。

女性なら「高望みしなければ、専業主婦になれるだろうし、子供が大きくなったらパートくらいにはでないといけないだろうけど、なんとかやっていけるだろう」ってのがあった。

「まぁ、なんとかやっていけるだろう」って構造が成立していたよね。

しかし、この背景には、以下のようなマイナスもあった。

1)正社員の男性による独占があり、キャリア職として働きたい女性には不利に働いていたし、
2)離婚したくても、経済的に女性は離婚できなかったし
3)男性も、社畜にならないといけなかった

それで女性の社会進出が進んでいったのと、非正規雇用の拡大も進んでいった。

いま男性で働いている人の半分が正社員だ。

スクリーンショット 2021-07-22 8.26.16.jpg


女性は3割位が正社員で、残りは専業主婦だったり非正規雇用だったりのようだ。

それで正社員の女性は、ほぼほぼ正社員の男性と結婚するんだよね。
ここは共働きで大変だけど、高収入で贅沢な暮らしができる。

しかし残りの7割の女性は大変だ。
このうち正社員と結婚できるのは3割位だ。残りの4割の女性は正社員にもなれないし、正社員と結婚することもできない。

夫婦ともに非正規雇用の共働きということになってしまう。

そして、これは少子化の問題とつながっている。この構造を表にしてみる。


スクリーンショット 2021-07-22 9.10.38.jpg

とても大雑把な表だ。細かな補正は必要だが、大枠では外していないと思う(上だと子供20人だけど、下だと13人(数字はアバウト))。

それでこうなったら、これから社会に出ていく人は、そりゃー不安しか無い。
絶対正社員になれる自信がある人は、男性の4割、女性の2割くらいで、それ以外の人はみんな不安しか無いよね。

昔はみんな中流にはなれるだろう。なんとかなるだろうと思えていた。今は、中流以上になれる人は半分だ。確率1/2となれば、自分に自信がある人はともかく、相当不安になるだろう。

若い世代の不安というものに、ほんとうに政治が対応してほしいと思う。

ーー

今さら昔には戻せないけども、これをなんとかしようとおもったらベーシックインカムに近い制度しか無いよね。

結婚したら、世帯に月4万。子供一人あたり月4万とか

財源が問題になるけど、これは長寿強制政策をやめるしか無い。
人生100年時代とか言われているけど、無理に長生きさせることはやめる

1)高齢者医療の削減、メチャ高い医療費はかけない。ムリな延命もしない。薬漬けもやめる。保険適用範囲を縮小する。
2)メタボ検診とかやめる。健康診断で「要注意」を簡単に出してる現状は改める。
3)喫煙締め出し政策もやめる

政府がムリな長寿強制政策をやめれば、個人の自由な生活をすすんで、平均寿命が80歳位になる。そのへんがベストなバランスだと思う。

医療費と年金がめちゃくちゃ浮くから、それを財源にする。

それと並行して、未婚や少子化の問題もある。

結婚しない人が増えているのは、ひとえに男性側の環境だと思う。まずは収入の問題で結婚を選択できないのと、パワハラが言われすぎて女性にアプローチできなくなった。
posted by takasaki at 09:14| 福岡 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月21日

人間って、ほんとに一生目の前のにんじんに操られる存在なんだなぁ、、、、(大半は男性だけど)

 菅総理は、有観客でオリンピックをやりたかったと思うが、その決断はできなかった。

 やろうと思えばやれたと思うんだよね*。

 ただ、自分の政治的な影響力が落ちて、次の総裁選に取らないと思ったんだろうね。総理大臣を続けたいと思ったんだろうね。だから無観客にした。

 それって、保身だよね。あるいは周りに嫌われたくないかだけども、それも保身にカウントしておく。

 政治家として、有観客でやることが、国や国民にとっていいはずだという信念はあったと思うんだけど、自分の保身でやめた。

 もっと総理でいたかったから。

 それって、総理大臣になった意味あるのかなぁと思う。なんのために総理大臣になったんだろうか? 

 そう考えると、総理大臣になっても、人間って目の前ににんじんをぶら下げて、それでやりたいこともやれないし、信念も捻じ曲げちゃうみたいなこどになるんだなぁと。

 通常の社会人では、昇進とかポストとかがそのにんじんだ。
 昇進とかポストのために、上司が変なことをしていても見てみぬふりするような社会人は非常に多いと思うし、信念を捻じ曲げちゃう人も多いだろうと思う。
 そもそも信念的なものがないのかもしれない、、、

 しかし、どっかで会社が大きく誤ることを体を張って止めたり、国民のプラスになるという信念に基づいて周りの反対を振り切って何かをやらないと、やってる意味がないんじゃないかと思う。
 そんなの結局誰がやっても同じじゃん。

 会社の社長になればすごいと思う。しかし、上には上があって、最終的には経団連会長くらいが最高のポストでしょ。社長になってもにんじんは顔の前にぶら下がっている。
 医者になって教授になったらすごいと思うが、その先も学校長とか学会での長とか、永遠ににんじんはついてくる。

 総理大臣になっても、にんじんはぶら下がっているようだ。
(小泉さんとかは、ぶらさがってなくてやりたいことをだいぶやった感じするね)

 それでその最終形態ってのが、勲章だよね。

 完全に成功しきって80歳くらいで仕事を完全にやめたとしても、社会をお騒がせするようなことをやったら勲章はもらえない。

(菅総理が無観客にしたかったけども、世論に負けて有観客にしたという場合でも同じ感想を持ったと思います)

 まぁ、もしかしたら菅総理には、もっと大きな野望があって、そのためにはオリンピックは落としどころ的なところにしたのかもしれない。
(多分してないと思うけどね)
posted by takasaki at 12:31| 福岡 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月17日

もう、コロナ自粛の空気早く終わろうよ、、、

 久しぶりにコロナのこと書くけど、今6割の人は接種を希望している。

 高齢者とか基礎疾患のある人は、ほぼほぼ打つだろう。

 それで、もう一日100万回接種できるようになったので、それらの人には10月中にはうち終わりそう。

 これで、コロナ対応にふりまわされる日々は終わっていいんじゃないの?

 打ちたくない人もいるだろう。ワクチン打たない人は、コロナにかかっても重症化しない人ばっかりだよね?

 高齢者・高リスク者はワクチンを打ち終わっているから、 感染者数が増えても、死亡者数は少ない水準にとどまるんじゃないのか?

 そうなったら、経済活動を停滞させるようなコロナ対応はとらなくていいんじゃないの?

 つまり、自由。

 ワクチンうってない人で、1000人に1人とか、死ぬ人は出るかもしれないけど、それはインフルエンザとかと同じだよね。
 お気の毒ではあるが、そういう人のために、経済活動を停滞させるようなコロナ対応はとらなくていいんじゃないの?

 これまでは、お年寄りが危ないってことになってたから、自粛もやむを得ない面もあったが、もう必要ないんじゃないの?




 
posted by takasaki at 15:00| 福岡 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月02日

なんかいろいろと手詰まりになってきているんじゃないか

(3年前に書いてたブログで、ないようが暗いので、お蔵入りさせてたけど、今日出します)


なんかいろいろと手詰まりになってきているんじゃないかという感じが不意に降ってきた。

これは、劇団とカンパニーのことではない。劇団とカンパニーであれば、良い芝居を作ればいくらでも成功できる余地がある。

なんというか、地域で良い企画をやって、そのことによって地域の演劇シーンを活性化するみたいなことだ。

公共ホールの活動が注目されて20年位たって、いろいろな企画がやられてきたけども、なんかどれもパッとしない。次にどういう手を打てば良いのだろうか、、、
みたいな感じになってきてるんじゃないか問ことがいいたい。


地域の演劇関係者にグッと行ってもらうための企画(いわゆる育成企画)も、成果を出しているものは、かなり少ない。

各地で行われている複合公演企画も、クオリティが伴わないとか、お客さんが入っていないとか、地元に何も残らないとかで、なんとか看板を維持しているような状態のものが多い。


近年で言うと、劇王企画の全国大会とか、カブフェスとかは、そういう意味では、手詰まり感を飛ばすような感じがある。





posted by takasaki at 12:30| 福岡 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする